善意の押し付けにならない支援とは。保護団体に本当に必要なもの
前回、動機の純度を判定するのはやめた、という話を書きました。
では何を見ればいいのか。私がずっと恐れていたのは、こちらの善意が、相手にとって迷惑になっていることでした。いわゆる「善意の押し付け」です。
しかもこれは、杞憂ではありません。
善意が、実害になるとき
支援の世界には、こういう話が実際にあります。
被災地や保護施設に、誰も頼んでいない物資が大量に届く。開封して、仕分けして、保管場所を確保して、最後は費用をかけて処分する。送った側は善意のつもりで、受け取った側は仕事が増えている。
古い毛布、サイズの合わないフード、使いかけの雑貨。「捨てるには忍びないから、役に立ててもらおう」という気持ちは、たしかに善意です。ただ、そこには「相手が何を必要としているか」が一度も登場していません。
自分もこれをやりかねない。ずっとそう思っていました。
悩んでも、答えは出ない
では、どうすれば押しつけを避けられるのか。
私はしばらく、これを内省の問題だと思っていました。自分の心を点検して、下心がないことを確かめてから動く。そういう順番だと。
でもこれは、うまくいきません。心をどれだけ点検しても、相手のニーズは分からないからです。純度100%の善意で送った毛布も、要らなければ処分費用になります。
方向が逆でした。見るべきなのは自分の内側ではなく、渡し方の構造のほうです。
善意の押し付けを避ける3つの条件
いま私が使っているのは、この3つです。
1. 相手が断れる形になっているか
受け取らない、使わない、無視する。それが相手のコストなしにできるか。断るのに気を遣わせる形になっていたら、それは押しつけに近い。
2. 相手が求めたものか
こちらが「必要だろう」と推測したものではなく、相手が「必要だ」と言ったものか。
3. 相手に余計なコストを発生させないか
受け取ることで、保管、仕分け、処分、返礼といった手間が発生しないか。
この3つを通れば、少なくとも迷惑にはなりにくい。そして重要なのは、これは全部、外から観察できるということです。自分の心を覗き込む必要がありません。
「ほしい物リスト」という発明
この観点から見ると、施設が公開しているほしい物リストは、かなりよくできた仕組みだと思います。
あれは、相手が自分で言語化したニーズそのものです。品目も、数量も、優先度も、受け取る側が決めている。こちらは選んで送るだけ。押しつけの正反対のことが、何も考えずにできます。
同じ理由で、ギフトカードや現金の寄付も相性がいい。お金には賞味期限がなく、サイズもなく、使い道の決定権が最初から相手側にあります。「気持ちがこもっていない」と言われがちですが、相手の自由度という一点では、たぶん最強です。
犬ではなく、人を支えるという回路
もうひとつ、最近気づいたことがあります。
私は毎週、施設にお菓子の差し入れをしています。犬には1グラムも届きません。最初は、これは支援と呼べるのだろうかと思っていました。
でも、保護活動の現場で起きている一番深刻な問題は、資金不足よりもスタッフの消耗だと言われます。人が辞めれば、運営そのものが揺らぐ。犬の命が直接減ります。
だとすると、人を支えることは、迂回に見えて実は近道なのかもしれません。しかもお菓子は、断りやすく、保管が楽で、余っても困らない。3つの条件を全部通っています。
そして、聞けばいい
ここまで書いてきて、いちばん間抜けな結論に辿り着きました。
相手に聞けばいいのです。
「いま、いちばん助かるものは何ですか」
この一言で、押しつけかどうかの問題はほぼ消えます。答えが返ってきたら、それはもう推測ではなく依頼です。悩んでいた時間が何だったのかという気持ちになりますが、聞ける関係を作るまでに時間がかかった、ということなのだと思います。
顔を出し続けていると、いつの間にか聞ける相手になっている。差し入れには、たぶんそういう効果もあります。
残った、最後の問題
動機は判定しない。渡し方は構造で確かめる。ここまでで、だいぶ整理がつきました。
でも、まだひとつ残っています。
続かなかったら、意味がないのではないか。
始めてみて分かったのですが、支援には終わりがありません。どれだけやっても対象は減らない。そして自分の時間とお金には限りがある。この非対称に、正直かなり焦っています。
次回は、その話を書きます。
