保護犬支援を「自己満足」と思う人は、どう考えているんだろう
このシリーズを3回書いて、いったん自分なりの結論を出しました。動機は判定しない。渡し方は構造で確かめる。続くかどうかだけを見る。
書き終えてから、ずっと気になっていることがあります。
世の中の人は、こういうことをどれくらい考えて生きているんだろう。
たぶん、あまり考えていない
募金箱に小銭を入れる。ボランティアに一度参加する。多くの場合、そこに「これは利他か利己か」という検討は挟まらないと思います。少しいい気分になって、それで終わる。
これは悪いことではなく、むしろ機能なのかもしれません。”深く考えないから、続く。”考えすぎる側の人間として、これは少し悔しい発見でした。
この問いは、動いている人にしか発生しない
同時に、気づいたこともあります。この問いを立てられるのは、既に何かをしている人だけです。何もしていない人には、そもそも自問する材料がありません。
だとすると、私が抱えているこの迷いは、動いている証拠でもあるということになります。頭では分かっているのですが、それでも知りたいのです。長く続けている人たちが、この問いをどう扱っているのか。
聞いてみたいこと
これまでは文章にまとめる形で書いてきましたが、今回は逆に、読んでくださっている方に聞いてみたいことがあります。
- 寄付やボランティアを続けている方。「これは自己満足では」と思ったことはありますか。あるとしたら、どう折り合いをつけていますか。
- そもそも、そんなことは考えたこともない、という方。それはどうしてだと思いますか。
- 支援を受け取る側に立ったことのある方。差し出す側の動機は、気になりましたか。
答えのない話を4回にわたって書いてきましたが、たぶん私一人で考えていても、この先には進めません。よろしければ、コメント欄で教えてください。皆さんの答えを、次の記事の材料にさせてもらえたらと思っています。
