はじめに:医学と物理学が交差する最前線へようこそ
皆さん、こんにちは。
病院でのがん治療と聞くと、医師や看護師、放射線技師といった方々の姿を思い浮かべるかもしれません。しかし、その最前線、特に放射線治療の現場には、もう一人、欠かすことのできない専門家がいます。
それが「医学物理士」です。
医学物理士の仕事の根幹にある「医学物理学」は、簡単に言えば「物理の力で、医療を支える」学問です。 この記事では、医学物理士が日々どのような仕事をし、がん治療にどう貢献しているのか、その知られざる「職人技」の世界について解説します。
1. 医学物理士とは?チーム医療の「縁の下の力持ち」
医学物理士は、放射線治療チームの一員として、物理学的な視点から治療の品質と安全性を保証する専門職です。
私たちの業務は多岐にわたりますが、一般的な業務割合は以下のようになっています。
- 治療計画 (55%): 放射線治療の「設計図」を作る建築家
- 品質管理 (15%): 治療の精度と安全を守る「番人」
- 研究 (10%): 未来の治療法を切り拓く「探求者」
- その他 (20%): 教育や新技術の導入など
今回は、特に業務の大半を占める「治療計画」と「品質管理」について深掘りします。
2. 仕事の核心①:放射線治療の「設計図」を作る
ゴールは「がんを叩き、正常細胞を守る」こと
放射線治療計画の究極の目標はシンプルです。 「がん細胞には最大限のダメージを与え、周囲の正常な臓器には可能な限りダメージを与えないこと」
この相反する目標を達成するために、私たちは2つの知識を駆使します。
- 生物学的知識: 「脊髄は一度のダメージに弱いが、肺はある程度耐えられる」といった臓器ごとの特性。
- 物理工学的知識: 治療装置のリニアックや、計算ソフト(RTPS)のクセ、最適な計算アルゴリズムの選定。
これらを融合させ、患者さん一人ひとりに最適な「設計図」を描き出します。
正解はない?「トレードオフ」との戦い
「最適な計画」を作るのは簡単ではありません。常に「あちらを立てればこちらが立たず」というトレードオフが発生するからです。
例えば、ある肺がんの治療計画で考えてみましょう。
- プランA: 心臓を守るために、肺への線量をある程度許容する。
- プランB: 肺を守る(肺炎リスクを下げる)ために、心臓への線量が少し増える。
具体的な数値の例: プランBでは、肺炎リスクに関わる数値(V20Gy)を20%→15%に下げられますが、その代償として心臓の長期リスク(V30Gy)が25%→35%に増えてしまいます。
肺炎のリスクを取るか、将来の心臓への影響を優先するか。私たちは医師と徹底的に議論し、その患者さんにとっての「ベスト」を探ります。ここに、この仕事の最大の難しさとやりがいがあります。
経験がモノを言う「職人技」の世界
実は、同じ患者さんのデータを使っても、「誰が計画を立てたか」で結果は大きく変わります。
- ベテラン物理士(経験20年): 高線量域ががん(PTV)の形にピタリと吸い付き、隣接するリスク臓器を巧みに避けている。
- 新人物理士(経験2年): 線量が広がり、副作用のリスクが少し高い。
この差は、そのまま「治癒率」や「副作用の少なさ」という患者さんの利益に直結します。だからこそ、私たちは日々技術を磨き続ける必要があるのです。
3. 仕事の核心②:治療の精度を守る「品質管理 (QA)」
わずかなズレも見逃さない「番人」
放射線治療は、目に見えない放射線をミリ単位の精度で照射します。装置が100%正しい動きをしているか確認する「品質管理(QA)」は、まさに事故を防ぐ生命線です。
実際にあった事例ですが、ある日、装置の出力にわずかなズレが生じ始めました。 しかし、毎日のチェックを行っていたおかげで即座に異常を検知し、業者による調整を行うことで事故を未然に防ぐことができました。もしこのチェックがなければ、患者さんに計画とは違う線量が照射され続けていたかもしれません。
2つのQA:装置と患者さんを守る
QAには大きく分けて2つの種類があります。
- 装置のQA (Machine QA): 毎朝のチェックから、年に一度の大規模な点検まで、機械そのものが正常かを確認します。
- 患者ごとのQA (Patient QA): 作成した複雑な治療計画が、本当にその通りに照射できるか、治療開始前に専用の測定器(ファントム)で「リハーサル」を行います。
4. 未来を創る:研究者としての一面
業務の約10%は研究です。私たちは臨床家であると同時に、科学者でもあります。 「もっとこうすれば副作用が減るのでは?」「この新しい測定器の特性はどうなっている?」といった、日々の臨床現場で感じる「疑問」が、新しい治療法や技術革新の種になります。
まとめ:物理学で「命」を救う仕事
医学物理士は、放射線治療における「治療の設計図を描く建築家」であり、「安全を守る番人」です。
物理学という少し抽象的な学問を、直接的に人の命を救う医療の現場で活かせること。これこそが、医学物理士というキャリアの最大の魅力です。 この記事を読んで、少しでも医学物理の世界に興味を持っていただけたら嬉しいです。
